活動報告

 戦争をさせない石川の会は「戦争シリーズ」講演会を12月2日、石川県教育会館2階集会室で開催しました。演題は「言論は死なずー戦後民主主義とメディアの再生のために」、講師は月刊『世界』前編集長の熊谷伸一郎さんです。

【講演要旨】

言論は死なず―戦後民主主義とメディアの再生のために

月刊『世界』前編集長  熊谷伸一郎

 はじめに

  日本における戦後民主主義の考え方には平和の問題、戦争に対する反省の問題、アジアに対する向き合い方など様々な問題が含まれています。この戦後民主主義をより深め、実践の中で研ぎ澄ましていくことが私の一貫した問題意識です。今日はそのことをメディアの再生と絡めてお話できればと思います。

 右肩下がりの出版界-どのような現状にあるか

 出版界は絵に描いたように右肩下がりが続いている。紙媒体だけ見ると1996年=2兆6500億円から2022年=1兆1292億円と半分以下になり、2023年は1兆円、2024年は1兆円割れも予想されている。特に「雑誌」の凋落ぶりが著しい。1996年=1兆5633億円から2022年=4795億に激減している。これは市民一人あたりの「雑誌」の購入冊数が低下している(1996年=13.6冊から2022年2.4冊)ためで、出版界の危機の大部分は「雑誌の危機」である。雑誌には賞味期限があり、本来は1か月、長くて2か月が限度。従って返品率が高い。2023年上半期の週刊誌の返品率は46%だった。

 一方、電子出版は(紙の)雑誌を販売・市場占有率で上回るようになった。電子出版のほゞ9割が漫画である。出版界は漫画の有無で2分している。印刷や在庫のコストがかからない漫画を持っている小学館、講談社、角川書店は、ボロ儲けしていが、漫画を持たない出版社は大変厳しい局面を迎えている。

 町の書店が一時期より1万店も減った一番の原因は、雑誌が売れなくなったからだ。定期雑誌の発行部数の減少により、書店がどんどん少なくなり、(書店に置かない)定期購読システムを持たない出版社は苦境が続いている。幸い月刊『世界』は2016年から定期購読システムを導入しており、現在は順調に発行部数も伸びている。

 新聞の発行部数は、2000年から2022年までの23年間で5371万部から3085万部まで減少。世帯あたりの購読率も1.13部から0.53部に半減し、ほゞ2軒に1軒しか定期購読していない。新聞の発行部数の右肩下がりが顕著で2023年には3000部を割り、2024年には2500万部台が予測される。朝日新聞では2012年の762万部が最近では322万部に半減している。10年間で半分に減少した。朝日新聞のこの10年間の推移は、メディアがどのように衰退していくのかの象徴である。

 なぜ既存メディアの苦境が続くのか

 メディアの苦境が続くのは、①デジタル化による「無料」の情報空間の拡大、②スマホの普及による可処分時間の減少、③実質賃金の低下による図書購入費の減少、④消費者物価の高騰による図書の価格の高騰、そして⑤人口減少時代に突入したからである。

 衰退するメディアの現場で起きてきたこと

 2012年の安部政権誕生以降、「マーケティング」でヘイト本が興隆した。

・2014年、朝日新聞の吉田調書報道(慰安婦報道をめぐる撤回と謝罪)

・2016年 右派論壇誌・月刊『Haneda』創刊(花田紀凱編集長)

・2017年 飛鳥新社『今こそ、韓国に謝ろう』(百田尚機)

・2017年 講談社『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバート)

・2017年 講談社『中華思想を妄信する中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバード)

・2018年 新潮社『新潮45』事件=国会議員・杉田水脈氏の「LGPTの人々には〝生産性〟がない論考を掲載、社内外の批判が高まり、同誌は休刊に。

・2019年 小学館『週刊ポスト』が「韓国なんて要らない」特集

言論メディアの「死のサイクル」・・・・図表2

 言論メディアが売上至上主義を採ると、企画内容の劣化⇒読者の信頼低下⇒売上の低下⇒コスト削減となり、さらに売上至上主義に陥ると云われる「死のサイクル」が続く。

 メディアの衰亡のあと、何が起きるのか

 日本では政治的な弾圧を受けていないのに「萎縮と忖度」が横行している。ここが最大の問題である。政治家が個別の番組に介入した場合、拒絶しなければならないのは勿論だが、良質な言論・ジャーナリズムが消えていくのは〝弾圧〟ではなく〝商売上の理由〟である。言論メディアの「死のサイクル」にある「貧すれば鈍する」編集の現場がある。このためメディアを通じて世の中を知る私たちは、(真実を)知ることができない。権力に都合のよい情報しか知らされないことになる。

 戦後民主主義の重要な点は、政府にあのような惨禍を起こさせないこと、つまり戦争を起こさせないために様々な仕組みを頑張って作ってきたこと。とりわけメディアによる権力のチェックである。この基本的なベースが失われているのではないか。

 それでも良質な情報と議論は必要だ

 私たちはメディアなしにはほとんど何も知ることができない。良質な情報と提供するメディアは民主主義社会には不可欠である。インターネットがあるが、情報と議論の流通過程に編集・編集者が存在する意義はあると思う。インターネット社会だからこそ、世の中には情報は無限にある。その中で読者のアンテナとなって今何が起きているのかを察知して、その情報を流通過程に乗せていくのが「編集」の役割である。

 なぜメディアは〝消える〟のか。メディアには民主的社会に不可欠なインフラでありつつ私経営で営まれる両面性があり、民間企業だからだ。商業ベースだから消えていく。

 ジャーナリスト・編集者になるということは、自分の良心に従って読者に最良の情報を提供することである。これに尽きる。みんなの利益、公共の利益を考えて情報を提供していくのが大原則である。

 どう打開していくのか

 3つの道筋がある。一つはNPOメディア=商業ベースで志しを廃れさすのではなく、視聴者や読者からの寄付を中心に営利を目的にしないメディア。二つ目は地域メディアの再構築=地方新聞、地域ラジオ等。三つ目は小規模な〝原則的〟メディアの多発・散発的起業である。この三つが重なりあって存在している。メディアは自分たちで作っていくという感覚を地域で取り戻そう。ジャーナリズムの精神、自分の良心に忠実なメディアを複数起業していくことが肝要である。

 どのようなメディアを再構築するか

 〝原則的〟なメディアとは、①市民の「知る権利」に奉仕すること、②権力を持つ人々の動きを監視・チェックすること、③市民社会で起きていること、議論されていることの共有、④言行が一致しているメディアであること、⑤タブーのない言論機関であること、⑥自らが良心に照らして裁量と確信できる情報・議論を伝達する、⑦専門性を磨く自己革新の努力をサポートするメディア組織である。

 おわりに―新たな拠点をつくるために

 お陰様で月刊「世界」は発行部数も増えており、再生産可能な体制になっている。私は今年7月に岩波書店を退職し、現在新しい出版社、再生産可能な会社を準備している。何のために会社をつくるのか。基本的には「世界」が持っている不変のポリシー、より良い社会を作っていく市民のための最良の言論を共有するための器を作るためである。これをキチンと維持していけば潰れることはないと思う。これが失われるとメディアの死、言論機関の死となる。私は今後、Webメディアや単行本の出版社を起業していきます。

(まとめ 非核・いしかわ編集部)

◎戦争をさせない石川の会が12月2日、石川県教育会館2階集会室で開いた「戦争シリーズ」講演会の講演要旨です。

 10月1日、金沢歌劇座別館3階大練習室にて核禁条約署名石川県連絡会が、ドキュメンタリー映画「声をあげる高校生たち―核兵器禁止条約に署名・批准を」上映会と斉藤とも子さんのトークイベントを開催しました。

*今回のイベントは核禁条約署名石川県連絡会が主催しました。
 斉藤とも子さんのトークイベント(動画)を同連絡会賛同団体の戦争をさせない石川の会ホームページにアップします。YooTube動画の所要時間は35分です。

【斉藤とも子さんの講演要旨】

 10月1日、核禁条約署名石川県連絡会主催のドキュメンタリー「声を上げる高校生たち」上映会&斉藤とも子さん(同映画ナレーター)トークイベントが開催された。トークの要旨を報告する。なお、文章化するにあたって順序を再整理した。

「きのこ会」との出会い

 原爆小頭症をご存じでしょうか。妊娠初期に、爆心地から近距離で胎内被爆したことで発現することのある障害です。ほとんどの方は、妊娠2~4か月頃に1.5㎞以内で被爆されていて、700~800mという近距離の方もありました。両手にすっぽり入る、子猫のような大きさで生まれた子もいます。障害の程度は様々ですが、脳の発育を阻害されたために知的障害があります。この問題を、原爆投下二十年後、広島のジャーナリストがつきとめ、1965年6月に原爆小頭症児の親子の会「きのこ会」が発足しました。

 私は、大学3年生のときに被爆者の聞き取りを元に卒業論文を書いていたこともあり、大学院に入って「きのこ会」と出会いました。支援者の遺稿集を読んで、「人間はこんな過酷な運命のなかにあっても、人と人が繋がり、助け合うことでこんなに素敵に生きられるのか」と、当事者と支援者の関係性に心を打たれたのがきっかけです。以来20年余り通い続けて、先月、喜寿のお祝いの会をしてきたところなのです。二十歳まで生きられないと言われてきた人たちが、七十七歳になられました。人間の生きる力のすごさを感じています。

 被爆者、映画とのかかわり

 大きなきっかけは、井上ひさしさんの戯曲「父と暮せば」(詳細は後述)です。30代のころ、自らが挫折を感じていたときに広島のお好み焼屋で被爆者と出会いました。それまでは、原爆や被爆者イコール暗い、重いという印象があったのですが、実際にお会いしたら、忘れられない痛みを抱えながらも、明るく生き抜いている姿に感銘を受けました。出会いによって当時の自分が支えられた、それをきっかけに被爆者の方々とのお付き合いが今でも続いています。

 今回、以前より交流のあった有原誠治監督から映画「声を上げる高校生たち」のナレーションのオファーをいただきましたが、それまで、私は全国高校生平和ゼミナールの存在も知らなかったのです。活動を知って、こんなに頑張っている高校生たちがいるのかとビックリしました。しかも、広島で最初にスタートした1978年当時は私もちょうど高校生で、同じ世代が始めて、今も連綿と続く活動に感動し、お引き受けしました。その後、高校生たちの活動の場にも参加するようになりました。

 転機になったこと

 17歳の頃は女優になりたくて仕方なく、大学には興味がなかったのです。親の「高校だけは出ておけ」という考え方や、当時、優等生の役を演じることが多く「優等生」と言われるのが嫌で、高校二年生で中退しました。その後、結婚や阪神・淡路大震災なども経験しましたが、大きな転機はドキュメンタリー番組の仕事で、タイの山岳民族の方々に出会ったことです。そこで子どもたちと触れ合う中で、夢や勉強をするという意味を考え直して、もう一度学校で勉強したいという思いが芽生えました。

 高校中退でしたから、大学受験検定を受けて、その後、3年浪人して東洋大学社会学部に入学しました。ちょうどその頃に、井上ひさしさんから戯曲「父と暮せば」の仕事が舞い込んできたのです。女優もやめようと思って、それ以外の仕事はお断りしていたのですが、「父と暮せば」は過去の公演も観ていて、原爆を扱う作品は暗いイメージですが、「父と暮せば」には最後に希望が描かれていたのが心に残っていました。だから、このお仕事だけはやりたいという思いが強くて、お引き受けしたのです。それから、女優も続けながら被爆者の方々との交流も続いていくことになりました。

 声をあげる若者たち

 今、若い方たちの活躍がめざましいと感じます。中高生も頑張って署名を集めていますが、私なんかは気が小さくて、人に「署名して」となかなか言えません。声を掛けられないでいる高校生たちを見ると、「わかるよ」と共感の思いで涙が出そうになります。

 人混みで声をあげるのは大変です。その中で、信号待ちをしている人に一生懸命対話して署名に繋げている高校生の姿を見て、なんて素敵なんだろうか、と感動しました。ワァーとした言葉だと通り過ぎていくけれど、そっと言い寄られて声を掛けられる方が足を止めますよね。私が署名活動をするときにも高校生の姿をお手本に工夫して、この人は協力してくれないだろうなぁという人が話を聞いてくださったり、学生の集団に声を掛けたら協力してくれたりと意外な経験もできました。

 今夏の原水爆禁止世界大会の最後に、高校生平和ゼミナールの発言がありました。満員の会場、自分の言葉で伝える高校生たちの姿。大事なのはそれをあたたかく拍手で応えた大人たちの姿。その反応を見て高校生たちも嬉しく感じます。若い人は宝だけれど、その背中を押す大人の存在が重要です。高校生平和ゼミナールでも前には立たないけれど後ろで支える人たちがいます。若い人たちに教えてもらいながら、私も自分にできることを続けていきたいと思います。今日はありがとうございました。

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 以上。なお、トークの模様は戦争をさせない石川の会のYouTubeにアーカイブ動画があるので、ご覧いただきたい。あわせて、氏の著書『きのこ雲の下から、明日へ』(ゆいぽおと、2005五年)のご一読もおすすめしたい。(まとめ 大田健志)

 

 

 9月30日、金沢市近江町交流プラザ4階集会室で開かれた「大軍拡・大増税を許さない秋の大学習会」のYouTube講演動画及び講演要旨を本会ホームページに掲載します。

 演題は「自公政権に替わる新たな政権構築の展望を求めてー岸田政権の『戦争政治』終わらせるために」、講師は明治大学国際武器移転史研究所客員研究員、山口大学名誉教授の纐纈厚(こうけつ あつし)さんです。主催は石川憲法会議。石川革新懇・石川県平和委員会・戦争をさせない石川の会です。

*講演動画は前半の講演、後半は質疑応答ですが、後半はバッテリー不足で中途で終了しました。ご容赦ください。

 

【纐纈厚さんの講演要旨】

 ◆岸田政権の本質

 岸田政権の本質を率直に言えば、疑似安倍政権としての軍事国家日本にすることにあります。「死せる安倍、岸田を走らす」に等しい。即ち、多国間軍事ブロックの促進による右傾化・軍事化推進政権であり、反民主主義と憲法改悪による保守反共政権であり、日米軍事同盟絶対化による重武装・同盟依存日、政権であり、国民不在の権力政治による資本利益優先政権だということです。

 先ず①「戦争できる国」から「戦争する国」への大転換について述べます。これは集団的自衛権の行使容認と新安保法制等により、「戦争のできる国家・日本」に変質することは、軍事大国化への第一段階です。「日米豪印戦略対話」(通称QUAD)による四カ国の相互運用機能の高度化は、軍事大国化の第二段階です。防衛費大増額や敵基地攻撃能力保持の具体化、NATOとの連携によるアジア版NATO体制の構築から、将来的にNATO+インド太平洋軍事同盟による対中国・対ロシア封じ込め=「戦争する国家・日本」に変質することは、軍事大国化の第三段階と言えます。

 ②「統合司令部」(=戦争指導部)設置は、指揮命令の流れが、首相・防衛相が自衛隊に対してより直轄的なものになることを示します。

 ③「アジア版NATO」構想の危うさについて述べます。首相の欧州とインド太平洋の安全保障が切り離せないという認識と「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」という危機感の表明は、米国主導の戦争に常時参戦することに連なるものです。しかしロシアとウクライナの関係を中国と日本の関係に置き換えるのは、歴史的にも政治的にも根本的な間違いです。

 ④軍事同盟強化に基礎を置く防衛外交は極めて危険だということです。多国間軍事同盟は自動参戦条項となって戦争の呼び水となるということです。日英同盟が日露戦争を、日独伊三国同盟がアジア太平洋戦争を呼び込んだ歴史事実と向き合う必要があります。

◆拍車かかる岸田政権の〝戦争政治〟

 防衛費の増額は世界第3位の軍事大国となることを意味し、反撃能力の保有は「専守防衛」の放棄と先制攻撃戦略の導入に連なり、「安保3文書」は軍事国家日本への明らかな公式宣言であり、防衛産業強化法は武器輸出解禁と「死の商人」国家日本の誕生となり、南西諸島へのミサイル基地設営は日米軍事一体化と在日米軍の強化となるものです。「軍事には軍事を」は危険で愚かな路線です。「軍事には外交を」でなければなりません。以下の点を注視します。

  • 防衛費の大増額は国民の暮らしを無視した防衛利権が絡むものであり、軍事大国は貧困大国の道であることを見ておくことです。安倍政権以降、軍事予算は増加の一途をたどり、殊に岸田政権2年目の23年度以降は概算要求の段階で青天井の状態になりました。既に日本のGNPはこの30年間成長が止まり、世界に占める日本のGNP比率は90年代半ばに18%程度あったものが6%になりました。同時に1200兆円もの借金を抱えています。
  • 憲法と国連憲章に違反する反撃能力の保有も大問題です。敵基地攻撃能力への転用が想定される主なスタンドオフ(敵の対空ミサイルの射程外から発射が可能な)ミサイルには極超音速誘導弾や高速滑空弾などがあり、政府は一発5億円もするトマホークの400発購入(日本は高額で購入)を決定し、南西諸島への配備を進めています。そしてその米国側の狙いは「中国の(米国本土への)ミサイル攻撃の第一撃を確実に吸収できるようにすること」だと2016年に大統領補佐官が明かしています。これはとんでもないことです。
  • ロシア・ウクライナ戦争を奇禍として日本の安全保障の基本をどこに置くか。これをヒント・教訓にせねばなりません。この侵略は、NATOの多国間軍事同盟の対ロシア抑止力が機能不全だったこと、賛否があるもののウクライナのNATO未加盟がロシアの侵略の要因とする分析には過ちがあり、NATOの対ロシア恫喝(東方拡大・東方浸透)の負の帰結として戦争を誘発した面を見なくてはなりません。

 冷戦終結後、旧ソ連を含む東欧諸国も次々にNATOに加盟し、ウクライナも加盟を希望し、ロシアがNATO「不拡大」の確約を要求するなかで、米国は「ウクライナの主権を尊重する」との立場でした。しかし「核兵器の先制使用はしない」という約束が、結果的に通常戦争となってしまったことについては、深く検討を要します。

◆岸田政権はどこに向かうのか

 日本を危険な方向に追いやる岸田政権の正体は内閣支持率の低下で証明済みと言えます。「聞く力」を示さず「逃げる力」を増す政権に私たちは「追いかけ・追い越す力」を発揮すべきです。戦争政治を阻み、自公政権に替わる連合政権樹立のためには、平和と民主主義を求める護憲運動の活性化が不可欠です。その運動を最大化・最適化するためには「野党共闘」(=護憲運動)が強く求められます。それには全国革新懇の次の3つの共同目標が重要です。

 ①軍事大国化の帰結である貧困大国化ではなく、経済を国民本位に転換し、暮らしを豊かにし、②護憲運  動の深化により、日本国憲法を生かし、自由と人権と民主主義を発展させ、③非核・非同盟・中立の立場で日米安保条約をなくすこと。これらが大切です。

 岸田自公政権は、疑似安倍政権として国民生活を蔑ろにしつつ、対米従属政治を続けてきました。それは神話(絵空事)としての抑止論と、戦争を呼び込むものでしかない軍事同盟論を口実に「戦争する国」に向かってひた走ってきた道です。それによって日本は「準戦時体制」に入り、危険な事態に立ち至りました。そうではなく日本は、抑止力神話と同盟信仰論から脱却し、平和・中立・非同盟の道を歩まねばなりません。

 「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡辺白泉)

 「戦前の一本道が現るる」(三橋敏雄)

(まとめ 非核・いしかわ編集部)

◎9月30日に石川憲法会議ほか3団体が主催した講演会の講演要旨です。

【2023.9.16  講演要旨】

ヤマトンチュとして沖縄に向き合う ―沖縄戦を繰り返さないために―

「遺骨で基地を作るな!緊急アクション!」呼びかけ人

西尾慧吾

  講演する西尾慧吾さん

 

今日私がお話しする「遺骨土砂問題」は、サブタイトルの「沖縄戦を繰り返さないために」です。沖縄戦の歴史に私たちはどう向き合うがが問われている。1945年4月1日にどうして沖縄での地上戦が始まったのか。当時は1年も前から沖縄に軍隊が配備され、住民を動員して飛行場を増設し、軍と住民の距離を縮めていった。その準備期間を経て地上戦が始まった。いま再び沖縄を戦場にするような動きに対して、沖縄戦の実体験を通じてヤマトンチュとして今の沖縄問題について考えていきたい。

 

 私と沖縄との出合い

 2015年高校生のとき修学旅行で初めて沖縄に行った。被爆地の広島や長崎への修学旅行と異なり、沖縄戦の事前学習もせずにリゾート気分だった。しかし戦後70年経っても沖縄では戦没者の遺骨収集が行われていた。戦争の爪痕が残っている現実を知ったことが契機となり、沖縄戦について一生懸命学ぶことにした。

 遺骨土砂問題とは

 沖縄戦戦没者の遺骨が残されている沖縄県南部(糸満市、八重瀬町)の土砂を使い、民意に反する辺野古新基地建設が強行されようとしている。私がこの問題を知ったのは、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマファ」の具志堅隆松さんが2021年3月、沖縄県庁前でハンガーストライキをされたとき。この時は沖縄タイムス、琉球新報はいずれも1面全部を使って報道した。基地建設反対の人だけではなく、戦没者の遺骨を埋め立てに使うことは人として許されない運動として大きく広がった。沖縄県議会の自民党会派も防衛庁に申し入れたり、沖縄県議会では全会一致で意見書を採択した。ところが全国メディアはほとんど報道しなかった。

 辺野古の軟弱地盤を埋め尽くすには大量の土砂が必要であり、国は沖縄県内から、しかも戦没者の遺骨・遺品が残された南部地域からその大半を搬出することを決めている。ヤマトンチュとしてこの構造を打破しなければと思ったのが私の行動の始まりである。

 歴史的・構造的沖縄差別

 構造的=日本の国家・社会の仕組みが、沖縄の犠牲を前提に組み上がっている。沖縄には基地があり、何か有事が起きると基地がある沖縄が犠牲になる。日米安保体制、日米地位協定は沖縄の犠牲なしに成り立たない。

 歴史的=沖縄の犠牲を前提にした同じ構造が、1609年の薩摩侵攻、1879年の琉球処分による併合、1945年の敗戦で沖縄を米軍の占領下など、形を変えて400年以上続いている。

 差別=沖縄だけが一方的に、常に犠牲にされる側である。

 この状態は現在も継続されているのではないか?

 必要なのはヤマトンチュの覚悟と想像力

  私は珠洲市の坂本菜の花さんら沖縄県内外の若者たちと共に呼びかけ人となり、「具志堅さんのハンガーストライキに応答する若者緊急ステートメント(声明)」をウェブで発表した(2021年3月5日)。また4月5日~9日、「若者、ガマフャと語る」をYouTubeでオンライン配信し、ブックレットも出版した。

 「沖縄戦戦没者の遺骨を含む土砂を埋め立てに使用しないよう求める」自治体意見書運動にも取り組み、沖縄県議会は2021年3月議会で、私の地元の大阪府茨木市議会では同年6月議会で意見書が採択された。具志堅さんが全国各自治体に働きかけたところ、石川県内では金沢市議会が同年6月議会で、坂本菜の花さんらが請願した珠洲市議会では9月議会など8自治体が採択しており、全国で意見書採択自治体は230を越えている。市議会レベルでは、辺野古新基地建設問題に触れなくても人道上許されない問題として意見書を採択したところが多い。

県内の埋め立て土砂採取場所と
調達可能量
地区 調達可能量
(単位千㎡)
国顔村     2,340
北部 名護市    9,482
本部町
南部 糸満市   31,596
八重瀬町
宮城島    300
宮古島    505
石垣島  480
南大東島      60
合計   44,763
(注)南部地域の調達可能量は全体の70.6%を占める

 

辺野古 埋め立て状況
埋め立て場所 実施済 計画量 達成率
辺野古側  約264万㎥   約319万㎥ 約83%
大浦湾側 0 約1699万㎥ 0%
全体  約264万㎥ 約2018万㎥ 約13%

 

   南部土砂なくして辺野古新基地建設なし

 辺野古の大浦湾側を埋め立てるには大量の土砂が必要である。これまで土砂投入から4年で埋め立て地域の投入量は13%にとどまっており、工事の見通しが立たない。別表からわかるように南部から土砂を採れないと大浦湾側を埋めることができないから辺野古新基地は完成できない。だから南部地域の土砂を埋め立てに使うか否かは辺野古新基地建設の成否に大きな影響を与える。

 具志堅さんの言葉「負ける気がしない」「勝たねばならない闘い」

 6月23日慰霊の日、「守ろう!戦没者の尊厳+沖縄県民の命」集会での具志堅さんの発言を紹介する。

「戦没者の遺骨を、血を吸い込んだ南部の土地から土砂を取って埋め立てに使うというのは、戦争の犠牲者への冒涜に他ならないからです。これは絶対許してはいけません。世の中に間違っていると断言できることはそんなにありません。しかし、これは明らかに間違っています。人道上間違っているんです。私たちが沖縄戦から得た教訓というのは、大きく言って二つあります。一つは軍隊は住民を守らない。そして、軍隊がいる所は軍隊に狙われると言うことです。」

 正義・人道のための闘いを「沖縄任せ」にしない

 遺骨土砂問題も、辺野古新基地建設問題も、全てヤマトンチュが作り出し沖縄に押しつけている問題である。「県知事頑張れ」とヤマトンチュが言うのは無責任。頑張るのは私たちヤマトンチュの方である。

 日本政府の姑息な沖縄分断政策こそ最も批判すべきである。「遺骨土砂」の搬出等、沖縄県・具志堅さんらウチナンチュの運動側と沖縄の業者とが分断・対立させられることで、問題が沖縄内部に矮小化されている構図を見極めなければならないと思う。

 今日のお話が石川県において新たな火種になればよいと思います。ありがとうございました。

2023 9 16 西尾慧吾講演会 – YouTube

※トラブルにより質疑の途中で終了しております。ご容赦ください。

戦争を回避せよ―「新しい戦前」にならないために

     新外交イニシアティブ代表・弁護士 猿田佐世

      講演する猿田佐世さん

 私は、米国からの圧力とは何かをワシントンで実際に見ていました。多くの情報が日本人によって歪められていました。例えば民主党政権誕生時に、今後の日米関係はどうなりますか、という質問に「悪くなる」ばかりの結果となるアンケートもありました。でもシール貼っているのは日本人なのです。米国規範に追随するというのは相当程度、日本人が好んで作ったものなのです。改憲についても、自分が変えたくて、米国にお願いして雰囲気をつくっているのです。米国からの〝拡声器効果〟なのです。これは〝自発的な対米従属〟そのものです。

一、安保三文書とは(背景・内容・日米関係)

 まず確認しておきたいことは、①日本一国では、戦争になる理由がない、②日本が中国と戦争になるのは、米中紛争である台湾有事に巻き込まれたときのみ、ということです。本来、日本には台湾を守る義務はないので、日本自らが関わるという選択肢を選ばない限り、日本が戦場になる可能性はありません。

 北朝鮮と戦争になる可能性は極めて低いです。攻撃したら北朝鮮の金政権は崩壊します。ロシアはウクライナでかなり疲弊しているので、日本を攻撃することは不可能です。よって日本の安保政策の絶対命題は「台湾有事を回避せよ」となります。

 安保三文書改訂(作年12月)で政権は、①「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の保有すなわち、米国製巡航ミサイル「トマホーク」等を大量購入予定して米軍と共同運用、②防衛費の倍増すなわち、27年に対GDP比2%にすることを決めました。①は、国際法違反の先制攻撃のおそれがあり、憲法・専守防衛からの逸脱そのもので、②は、財源が決まらないまま軍拡競争「安全保障のジレンマ」に突き進み、さらに地域は不安定化するだけです。抑止力は「信頼供与」がなければ機能せず、そのためには「外交」が不可欠です。

 米軍と自衛隊の一体化の加速は、今年一月の日米安全保障協議委員会(日米「二+二」)に表れています。南西諸島を含む地域における共同使用を拡大し、共同演習を増加し、敵基地攻撃能力の効果的な運用へと舵を切り、空港や港湾を使いやすくし、沖縄の海兵隊を「海兵沿岸連隊(MLR)」に改編し、機動性を上げた小規模部隊で南西諸島防衛に資する、等を意味します。

 同じく1月の日米首脳会談では、三文書改訂を歓迎し、安保能力強化「台湾海峡の平和と安定を維持することの重要性」を確認しあいました。

 いま米国は同盟国頼りとなっています。力を落としている米国の対中戦略は同盟国との連携なのです。米「国家安全保障戦略」(昨年10月)の〝統合抑止〟は、同盟国に軍事力強化を促し、自国の抑止に組み込むことを目指すものです。これに日本は三文書改訂で即、応えたわけです。まさに対米従属です。

 すなわち安保三文書改訂の意図は、国家安全保障戦略に書かれているとおり、「インド太平洋において日米の協力を具体的に深化させることが、米国のこの地域へのコミットメントを維持・強化する上でも死活的に重要」であって、抑止力を強化し、米国陣営を強化し、米国の補完をしつつ、米国を巻き込むことにあるのです。

二、安保三文書の問題点

 これはとても無責任な文書です。まず①自分たちへの影響を全く語っていません。防衛研究所報告書によると、中国のミサイル攻撃を完全に封じ込めるのは困難ですが、攻撃を受けながらも対艦攻撃などで足止めさせ、台湾や尖閣への上陸を防ぎ、米軍が世界中から駆け付けるまでの半年から一年の、時間を稼ぐというものです。中国は非常に精密な攻撃能力を持つので、被害は米軍・自衛隊使用の飛行場や港湾に限られ、民間人が巻き込まれることは殆どない、という無責任なものです。戦略国際問題研究所(CSIS)の台湾有事の机上演習(今年1月)にも民間人の被害について、ほぼ言及がありません。

 さらに経済的被害についても何も語っていません。ドイツで「日本では中国に対する経済制裁についてどんな議論をしているか?」と問われて驚きました。全貿易のうち日中貿易は既に約4分の1。有事となり自衛隊派兵となれば完全に断絶することになり、全国民の生活が根本的に破壊されるのは明白です。国際法の順番は、派兵する前に経済制裁なのです。派兵ありきの議論は全く非現実的です。勿論、経済制裁では日本が先に干上がってしまいます。

 そして②中国に軍事力にのみで対抗しようとするのは愚かです。今回の防衛予算の倍増によって軍事支出が世界第3位になったとしても、中国の5分の2に過ぎません。既に中国のGDPは22年比で日本の四倍です。中国の軍事費はこの20年間、GDPの1.7%程度。軍事力だけの対抗は愚の骨頂です。こう言うと「日本だけで対応するのでない」という方がおられますが、中国の台湾進攻時に米国が軍事介入するか、実のところ定かではありません。

非同盟国に幾度も介入してきた米国がウクライナ戦争に直接介入しないのは、ロシアが核兵器国・軍事大国だからであり、第3次世界大戦への呼び水になりかねないからです。中国も核兵器国・軍事大国です。ヨーロッパはもっと怪しくて、NATO諸国一四ヵ国調査では台湾有事の際、紛争終結のための外交35%、対中経済制裁32%、何もしない12%、台湾への武器供与4%、台湾派兵2%(欧州諸国だけなら1%)という結果です。米国が傍観し、日本だけが戦うということになりかねません。

三、ではどうするか(提言)

 安全保障政策の目標は、戦禍から国民を守ること即ち、戦争回避でなければなりません。抑止力強化一辺倒の政策で、本当に戦争を防ぎ、国民を守ることができるのでしょうか。

 軍事力による抑止は、相手の対抗策を招き、無限の軍拡競争をもたらすとともに、抑止が破綻すれば、増強した対抗手段によって、より破滅的な結果をもたらします。

 戦争を確実に防ぐためには、「抑止」とともに、相手が〝戦争してでも守るべき利益〟を脅かさないことによって、戦争の動機をなくす「安心供与」が不可欠です。抑止の論理にのみ拘泥する発想からの転換が求められる所以です。

 台湾有事を回避するためには、過度の対立姿勢を諫めるべく、米国に対しては、米軍の日本からの直接出撃が事前協議の対象であることを梃子として、必ずしも同意しないことを伝え、台湾に対しては、民間レベルの交流を維持しながら、過度な分離独立の姿勢を取らないように説得し、中国に対しては、台湾への武力行使は国際的な反発が中国を窮地に追い込むことを諭し、日本は台湾の一方的な独立の動きは支持しないことを明確に示すことで、自制を求めることです。

四、事前協議制度を利用して 米国に今から迫れ

 60年の日米安保条約改定により、日本から行われる戦闘作戦行動のための日本国内の施設・区域の使用には、事前協議が必要になりました(事前協議制度)。台湾有事の際は、これが適用される初めての機会となり得ます。但し米国側は日本の「拒否権」を認めておらず、肝心な時に無視され得ると考えられます。よって対米外交のカギは、「台湾有事の際の直接出撃は事前協議の対象になる」「必ずしも事前協議で賛同することは限らない」と現時点から米国に伝えることが肝要になってきます。政府に二枚舌を許さない世論喚起が必要です。

五、めざすべき外交

 日本外交のモデルになり得るのは、米中対立の主戦場になっている東南アジアの外交です。ASEAN外相会議では既に南シナ海の問題をめぐり、20年9月段階で複数の会議で議論を積み上げ、対立が軍事的レベルに高まっている米中を念頭に「地域の平和と安定を脅かす争いに囚われたくない(どちらか一つという選択を迫られることを望んでいないDon’t make us choose)」と自制を促すメッセージを発しています。また21年9月に発足した米英豪の対中国軍事パートナーシップ(AUKUS)に対しても、しっかりと懸念を表明し、核拡散防止条約と国連海洋法条約の順守をしっかり求めるという対応をしており、軍事一辺倒の日本と大違いとなっているのです。米中対立においてどちらにも組みしない外交姿勢でASEANは一貫しているのです。

 日本が「ミドルパワー」の国であることを自覚し、「Don’t make us choose」と叫ぶ各国と連携して、米中対立の緩和を呼び掛けるべきでしょう。

(文責 非核いしかわ編集部)

◎5月20日に金沢市内で開催された「戦争をさせない石川の会」主催の講演会の講演要旨です。

 

 

 戦争をさせない石川の会が11月5日、近江町いちば館4階集会室で開いた講演会の講演要旨を紹介します。

「ウクライナ問題-消えないモヤモヤ感」

神戸大学名誉教授  ロニー・アレキサンダー

講師のロニー・アレキサンダーさん

 私は愛猫ポーポキとの仮想問答をとおして〝平和〟をずっと考えてきました。「平和って何色?」と質問すると、さまざまな答えが返ってきました。感性だから正解はないのです。そもそも平和を一つの色に限定することに無理があるのです。

 お互いに個性を尊重しあい、個々人が持っているものを発揮できる状態は、平和であればこそ。たとえ戦争がなくても、差別や貧困があれば、それは決して平和とは言えないのです。

 世界の平和運動は、実は困難が山積しています。米国の平和運動は元々まとまりにくい事情がありますし、「平和」をもたらす解決策も、非暴力平和主義から軍事力強硬論まで様々ですし、「制裁」を支持するか否かについても、容易に意見は一致しません。

 その間に、兵器産業や金融投機筋の収益はうなぎ上りとなっており、その一方で食料・燃料エネルギー・肥料など、脆弱性のある地域を中心に人類の生存を脅かす事態が進行し、それが女性、貧困層、労働者などにシワ寄せとなっています。この根底にある問題に目をつむるわけにはいきません。

 軍隊があるから戦争が起きるのです。真の平和な社会を築くためには、お互いの〝つながり〟が決め手です。それさえあれば社会の不条理に一緒に立ち向かうことが出来るのです。

 たしかに非暴力を貫くのは難しいです。しかし非暴力の土台をつくる努力を決して忘れてはなりません。

 若者たちには、自身に抜けている視点はないかを冷静に考えてほしい。そしてモヤモヤを共有することから出発できれば、何かが始まるのだと伝えたい。違う者同士の接点づくりの技術を身に着け、未来社会の平和の土壌づくりに本気で勤しんでほしいのです。

 9月5日、戦争をさせない石川の会は、安倍晋三元首相の「国葬」中止を求める声明を岸田文雄首相及び石川県政記者室に送りました。本会ホームページに紹介します。

【声明】

 内閣総理大臣  岸田文雄殿

       安倍晋三元首相の「国葬」中止を求めます

 私たちは、安倍晋三元首相の「国葬」実施について、以下4点の立場から反対の意志を表明するとともに、その中止を求めます。

1. 安倍氏の「国葬」は、法律の根拠を欠いている。

2. 安倍氏の「国葬」は、憲法上の権利である「法の下の平等」に反する。

3. 安倍氏の「国葬」は、国民に弔意を強制するものであり、憲法上の権利である「思想・良心の自由」に反する。

4. 安倍氏の「国葬」は、元首相としての「業績」を美化し、それを強制するものであり憲法上の権利である「表現の自由」に反する。

 

1. 現在、「国葬」について定めた法律はありません。岸田首相は、内閣府設置法上の内閣の所掌事務として「国の儀式」にあたると閣議決定で実施を決めました。国会の議決も経ずに「国葬」を決めるのは、立憲主義を破壊するものです。また、「国葬」には国費を充てるとしているが、国会の議決に基づかない行使は、財政民主主義をないがしろにするものです。

2. 岸田首相は安倍氏を「国葬」にする合理的理由を示していません。政権の思惑だけで特定の個人を「国葬」として特別扱いするのは、憲法が規定する平等原則に反するものです。

3. 安倍氏の「国葬」は、全国民にかわって国が安倍氏への弔意を表明することです。これは、国民一人ひとりに弔意を押しつけるものであり、憲法が定めた「思想・良心の自由の保障」に反するものです。

4. 安倍氏は首相として、戦後レジームの解消をとなえ、国家主義的・軍国主義的な政治姿勢が顕著で、教育基本法の「改正」、特定秘密保護法、共謀罪法、安保法制など、日本を再び戦争のできる国づくりを進めてきました。また、政治の私物化、ウソとごまかし、立憲主義の破壊などの政治手法、行政情報の改竄・隠蔽など不誠実な政治姿勢には多くの批判があります。「国葬」によって安倍氏の「業績」を美化することは、安倍政治に反対する声を殺ぐ作用をはたし、表現の自由に反するものです。

 2022年9月5日

                        戦争をさせない石川の会

                        共同代表:山村勝郎(元金沢星稜大学学長)

                         菅野昭夫(弁護士)

【戦争をさせない石川の会・講演会】

  ウクライナ侵攻から平和を考えるー世界史の順行と逆行ー

 名古屋大学名誉教授  池内 了  

            講師の池内 了さん

  池内了さん(名古屋大学名誉教授)の講演会が戦争をさせない石川の主催で7月31日、金沢歌劇座2階大集会室で開催されました。宇宙論の研究者である池内さんは、地球から見て火星の動きが順行と逆行を繰り返しているように見えるが、巨視的には惑星として共にJ順行している。世界史で、戦争と野蛮、非戦と戦争も順行と逆行を繰り返しているが、長期的には世界は変わっているとの基本的視点を展開されました。

 戦争の歴史で、科学技術の使用が進むに伴い、次々と残酷な手段を禁止する条約が成立した(ジュネーブ議定書、生物兵器禁止条約、化学兵器禁止条約)。戦争と平和の逆行と順行は、戦争の度に戦争に頼らないで紛争を解決する道を拓いてきた(国際連盟、国際連合)。この順行の流れの中で日本国憲法の平和主義が生まれ、日本が決して侵略国家にならない、平和の中で生きていくことを宣言した。

 戦後、大国間の戦争は回避されて来たが、軍事大国(米、ロ、中国)は、軍拡競争を牽引し多くの小国への侵略と威圧で、逆行の道を歩んでいる。しかし、核保有5カ国は、国際世論に追い詰められ「核戦争を防ぎ、軍拡競争と核の拡散を行わない」共同声明を出さざるを得なくなっている。

 ロシアのウクライナ侵略は、世界史の逆行であり、第3次世界大戦、核戦争、国連の限界を内包している。この行方には3つの方向(ロシア又はウクライナの敗北、ウクライナの停戦受け入れ=白旗)が想定されるが、多くの批判があるが白旗路線を考えている。それは、命に勝る正義なしとの立場からである。

 現在ウクライナにとって、国権主義か私権主義かが問われており、国家による戦争遂行の強制と基本的人権の対立軸は報道されていない。世界が採るべき方策は、国連総会決議を最高の意思決定として、安全保障理事会を上回る拘束力を持つ国連改革であり、ロシアとウクライナに即時停戦を説得する決議と核兵器先制使用禁止決議であろう。

 戦後、侵略をしない国として信頼を得て来た日本は、参議院選挙の結果、日本が侵略する国になりかねない危険が増している。

 自民党改憲案で自衛隊を軍隊と明記すると、一般刑法と別に軍事法廷や徴兵制の導入が想定される。大学や研究者が守ってきた「学術は軍事に協力しない」ことが崩されつつある。研究費の貧困を背景に、防衛省安全保障技術研究推進制度による軍事研究が行なわれている。経済安全保障法の下で軍事・機微技術の開発を国が管理する重要技術育成プログラム(5,000億円)は、4領域(宇宙、海洋、サイバー空間、バイオ)20分野の推進計画で、参加する研究者には守秘義務が課せられ、軍事研究を強める施策が進んでいる。

 これまでに成立した悪法により民主主義の根幹が危うくなっている。また若者への教育は貧弱で、政治的無関心が助長され、同調圧力や「空気を読む」雰囲気の中で、社会の一体化の共同幻想に陥り、私権の制限すら許容する傾向が見られる。これは、ファシズムに導かれる危険であることを知らなければならない。

 個々人の生命、生活、人権を確保することを最優先にして、平和を守る。軍事力に頼よれば、却って戦争の危険を増やす。私は「ピカソで平和を守る」と提唱している。文化の満ち溢れた社会にし、非武装都市宣言で平和を守る、そのためにも、慌てないで諦めずに粘り強く平和主義、国民主権、基本的人権の尊重を主張し続ける必要がある。

 講演後の質疑応答で、「科学が軍民共用(デュアルユース)であり、区別できないと考える教員が多い、その対応は?」との質問に、3つの基準(財源=防衛省か文科省か、応募の目的は何か、公開性が担保されているか)で区別することができると答えられた。

 

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いしかわの戦争と平和
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