斉藤とも子さんトークイベントin金沢(動画配信+講演要旨)

 10月1日、金沢歌劇座別館3階大練習室にて核禁条約署名石川県連絡会が、ドキュメンタリー映画「声をあげる高校生たち―核兵器禁止条約に署名・批准を」上映会と斉藤とも子さんのトークイベントを開催しました。

*今回のイベントは核禁条約署名石川県連絡会が主催しました。
 斉藤とも子さんのトークイベント(動画)を同連絡会賛同団体の戦争をさせない石川の会ホームページにアップします。YooTube動画の所要時間は35分です。

【斉藤とも子さんの講演要旨】

 10月1日、核禁条約署名石川県連絡会主催のドキュメンタリー「声を上げる高校生たち」上映会&斉藤とも子さん(同映画ナレーター)トークイベントが開催された。トークの要旨を報告する。なお、文章化するにあたって順序を再整理した。

「きのこ会」との出会い

 原爆小頭症をご存じでしょうか。妊娠初期に、爆心地から近距離で胎内被爆したことで発現することのある障害です。ほとんどの方は、妊娠2~4か月頃に1.5㎞以内で被爆されていて、700~800mという近距離の方もありました。両手にすっぽり入る、子猫のような大きさで生まれた子もいます。障害の程度は様々ですが、脳の発育を阻害されたために知的障害があります。この問題を、原爆投下二十年後、広島のジャーナリストがつきとめ、1965年6月に原爆小頭症児の親子の会「きのこ会」が発足しました。

 私は、大学3年生のときに被爆者の聞き取りを元に卒業論文を書いていたこともあり、大学院に入って「きのこ会」と出会いました。支援者の遺稿集を読んで、「人間はこんな過酷な運命のなかにあっても、人と人が繋がり、助け合うことでこんなに素敵に生きられるのか」と、当事者と支援者の関係性に心を打たれたのがきっかけです。以来20年余り通い続けて、先月、喜寿のお祝いの会をしてきたところなのです。二十歳まで生きられないと言われてきた人たちが、七十七歳になられました。人間の生きる力のすごさを感じています。

 被爆者、映画とのかかわり

 大きなきっかけは、井上ひさしさんの戯曲「父と暮せば」(詳細は後述)です。30代のころ、自らが挫折を感じていたときに広島のお好み焼屋で被爆者と出会いました。それまでは、原爆や被爆者イコール暗い、重いという印象があったのですが、実際にお会いしたら、忘れられない痛みを抱えながらも、明るく生き抜いている姿に感銘を受けました。出会いによって当時の自分が支えられた、それをきっかけに被爆者の方々とのお付き合いが今でも続いています。

 今回、以前より交流のあった有原誠治監督から映画「声を上げる高校生たち」のナレーションのオファーをいただきましたが、それまで、私は全国高校生平和ゼミナールの存在も知らなかったのです。活動を知って、こんなに頑張っている高校生たちがいるのかとビックリしました。しかも、広島で最初にスタートした1978年当時は私もちょうど高校生で、同じ世代が始めて、今も連綿と続く活動に感動し、お引き受けしました。その後、高校生たちの活動の場にも参加するようになりました。

 転機になったこと

 17歳の頃は女優になりたくて仕方なく、大学には興味がなかったのです。親の「高校だけは出ておけ」という考え方や、当時、優等生の役を演じることが多く「優等生」と言われるのが嫌で、高校二年生で中退しました。その後、結婚や阪神・淡路大震災なども経験しましたが、大きな転機はドキュメンタリー番組の仕事で、タイの山岳民族の方々に出会ったことです。そこで子どもたちと触れ合う中で、夢や勉強をするという意味を考え直して、もう一度学校で勉強したいという思いが芽生えました。

 高校中退でしたから、大学受験検定を受けて、その後、3年浪人して東洋大学社会学部に入学しました。ちょうどその頃に、井上ひさしさんから戯曲「父と暮せば」の仕事が舞い込んできたのです。女優もやめようと思って、それ以外の仕事はお断りしていたのですが、「父と暮せば」は過去の公演も観ていて、原爆を扱う作品は暗いイメージですが、「父と暮せば」には最後に希望が描かれていたのが心に残っていました。だから、このお仕事だけはやりたいという思いが強くて、お引き受けしたのです。それから、女優も続けながら被爆者の方々との交流も続いていくことになりました。

 声をあげる若者たち

 今、若い方たちの活躍がめざましいと感じます。中高生も頑張って署名を集めていますが、私なんかは気が小さくて、人に「署名して」となかなか言えません。声を掛けられないでいる高校生たちを見ると、「わかるよ」と共感の思いで涙が出そうになります。

 人混みで声をあげるのは大変です。その中で、信号待ちをしている人に一生懸命対話して署名に繋げている高校生の姿を見て、なんて素敵なんだろうか、と感動しました。ワァーとした言葉だと通り過ぎていくけれど、そっと言い寄られて声を掛けられる方が足を止めますよね。私が署名活動をするときにも高校生の姿をお手本に工夫して、この人は協力してくれないだろうなぁという人が話を聞いてくださったり、学生の集団に声を掛けたら協力してくれたりと意外な経験もできました。

 今夏の原水爆禁止世界大会の最後に、高校生平和ゼミナールの発言がありました。満員の会場、自分の言葉で伝える高校生たちの姿。大事なのはそれをあたたかく拍手で応えた大人たちの姿。その反応を見て高校生たちも嬉しく感じます。若い人は宝だけれど、その背中を押す大人の存在が重要です。高校生平和ゼミナールでも前には立たないけれど後ろで支える人たちがいます。若い人たちに教えてもらいながら、私も自分にできることを続けていきたいと思います。今日はありがとうございました。

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 以上。なお、トークの模様は戦争をさせない石川の会のYouTubeにアーカイブ動画があるので、ご覧いただきたい。あわせて、氏の著書『きのこ雲の下から、明日へ』(ゆいぽおと、2005五年)のご一読もおすすめしたい。(まとめ 大田健志)

 

 

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