講演要録 オリンピックと戦争/講師 谷口源太郎

シリーズ戦争・学習会(第1回)>
         オリンピックと戦争
          講師 スポーツジャーナリスト  谷口源太郎

         講師の谷口源太郎さん

 東京オリンピックは根幹から揺れている。何のために東京でオリンピックを開くのか。何を目指しているのか。2020年東京大会を主導したのは森喜朗元首相である。森喜朗・東京大会組織委員会会長が考えるスポーツとは何か。森会長は「スポーツの精神は滅私奉公である」と云っている。スポーツとはお互いに理解し尊敬しあうものであり、自分を殺して公に尽すことはありえない。滅私奉公、国に奉仕することはオリンピック精神と真逆である。
 森会長はラグビーでよく使われる「オール・フォー・ワン、ワン・フォー・オール」にならって、「オールジャパン」を掲げ、2020年東京オリンピックを「国民一丸」となり、「国民総動員体制」を作り上げようとしている。このようにオリンピック精神と相反する思想のもとで東京大会を招致した。
 

 戦争によって砕かれたオリンピズム
 1925年制定のオリンピック憲章では「スポーツを通じ、相互理解の増進と友好の精神にのっとって若人たちを教育し、それによって、より良い、より平和な世界の建設に協力すること」と記載され、平和主義・国際主義を強調している。このオリンピック憲章の理念(オリンピズム)は、他の国際的なスポーツイベントにはない大きな特徴である。このオリンピズムは、戦争に対しどれだけ贖う力になっただろうか。戦争により、第一次世界大戦で1916年の第6回ベルリン大会、日中戦争で1940の第12回東京大会、第二次世界大戦で1944年の第13回ロンドン大会の3大会が中止になった。国際オリンピック委員会(IOC)はこの三大会中止の総括、自己批判をしっかりやっていない。

 東西冷戦とモスクワ大会ボイコット
 東西冷戦の時代、カーター米国大統領がソ連のアフガニスタン侵攻を理由に1980年のモスクワ大会のボイコットを呼びかけ、西ドイツ、日本など50か国が同調し、参加国は81に過ぎなかった。先の3大会中止とこの大規模ボイコットで「オリンピックは終焉した」との見方が広がった。さらにソ連をはじめ社会主義国が1984年のロスアンゼルス大会をボイコットした。また同大会はオリンピック憲章の理念を完全に放棄して、商業主義に走り、興行としての国際スポーツイベントに変質してしまった。それ以後のオリンピックは、全て商業主義(マネーファースト)でおこなわれている。
 

 国威発揚の道具にされる選手たち
 もう一つの特徴は、国威発揚を背景にした国家間のメダル競争である。メダル競争の負の遺産がドーピング問題だ。クスリで人間の限界を超える力を発揮させてメダルの獲得競争がエスカレートしている。毎回の大会で違反者が出ており、今やドーピングは押さえようがない。
 この背景にあるのが勝利至上主義、金メダルでなければ意味がない。2020年東京オリンピックの日本チームの最大の目標が(金メダル30個獲得)であり、これ以外に目標がない。ここに焦点を当ててヒト、モノ、カネを集中させている。
 このため選手は二重の意味で疎外されている。一つは商業主義のもと商品として選手はスポンサーと契約を結び、広告宣伝役を担わされている。もう一つはメダル獲得(日の丸を上げる)ために頑張ることを強いられ、国威発揚の道具にされている。このようにオリンピックが商業主義とナショナリズムに陥っていることにつき、選手たちはあまりにも無自覚ではないのか。

 安倍首相のオリ・パラ翼賛の狙い
 安倍首相が唱える「積極的平和主義」とは、改憲して自衛隊を軍隊として認め、海外派兵ができる「戦争をする国」になることである。いま中東地域に(調査・監視を名目に)自衛隊を派遣しており、他方、「福島はアンダーコントロールされている」と大ウソをついて東京オリンピックを招致した。安倍首相は、今年1月20日の施政方針演説でもすべての項目にオリンピック・パラリンピックをからませて翼賛し、国民が一体となって新しい時代(改憲)に踏み出すことを訴えた。オリンピック・パラリンピックの露骨な政治利用である。このままでは東京大会は、改憲―「戦争する国づくり」につながる恐ろしいオリンピックになる。
 

 戦争とパラリンピック
 パラリンピックも戦争と結びついている。第二次世界大戦の戦闘によって脊髄を損傷し、車椅子を使用するようになった下半身麻痺者のリハビリとしてスポーツが取り入れられた。1948年ロンドン大会の開会式に合わせて病院内でアーチェリー競技会を開催。1952年のヘルシンキ大会で「国際ストーク・マンデビル競技大会」に発展。1964年の東京大会から「パラリンピック」(パラプレジア=下半身麻痺者とオリンピックを組み合わせた日本製の造語)と呼ばれるようになった。
 障害者のためのリハビリは意味があり、日常的にスポーツができる環境整備が大事だが、国威発揚のメダル獲得に走っているのが実情だ。パラリンピックは障害者スポーツのエリート化であり、東京大会後には予算が大幅にカットされ、障害者のスポーツ環境が劣悪に、負の遺産となることが危惧される。
 

 「復興オリンピック」の名のもとに
 森会長や安倍首相は「復興オリンピック」と謳っているが、地元の人たちは決して納得していない。帰宅困難地域はどんどん解消されているが、実際に戻ってくる人は少ない。なぜなら従来あった住民の生活やコミュニティが根こそぎ壊されたからだ。
 東京大会の聖火リレーのスタート地点が福島のJヴィレッジ。このJヴィレッジは原発事故対応の拠点になったところで防護服を洗浄した大量の汚染水や、セシュウム・ボール(粒子)が空中には飛散していた。実際にJヴィレッジの近くで高濃度の放射線量が計測されている。「復興オリンピック」の名のもとにこの場所で聖火リレーをスタートさせるのは人命軽視である。3月26日、福島を皮切りに聖火リレーは全国一丸となって全都道府県をまわる。これをNHKはじめメディアが大きく取り上げる。 
 東京大会のオリンピックをNHKは連日、民放は各社日替わりで放送する。大会期間中は一日中、オリンピック番組が占め、オリンピック翼賛報道となる。「全国民一丸になって」「滅私奉公」で盛り上げていく方向につくられていくだろう。
 このようにオリンピックはいろんな問題をはらみながら国策として国家主導で大きな流れがつくられようとしている。大きな危機感を持って、批判的に注視していきたい。
  
◎2月22日、金沢市歌劇座3階大練習室で開かれた戦争をさせない石川の会の2020年学習会・シリーズ「戦争」(第1回)の講演要旨です。

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