『記憶の灯り 希望の宙へ』監修のことば(本康宏史)

【監修のことば】

静かな流れは、底が深い

戦争を語り伝え、平和への思いを共有するために

金沢星稜大学教授   本康宏史

 

 「戦争」を語り伝えるということ。本書を刊行する目的は、まず、この一言に尽きると思います。そのうえで、本書の個々の内容を通じ、「平和」に対する思いを深めていただければ幸いです。とはいえ、戦争の歴史を「語る」こと、「伝える」ことには、それぞれの難しさがあります。とりわけ、近現代の戦争は、現代社会に直接大きな影響を与えているため、さらに様々な問題をはらむことを認識しなくてはなりません。一つは、戦争の「経験」が、戦後70余年を経た今日、実態・実感を伴いにくいこと。もう一つは、戦争に対するスタンス、いわば価値観の違いが、しばしばその認識や表現に反映しがちであることです。

 前者に関しては、世代間に戦争体験の濃淡があり、「戦争を知らない世代」すら、もはや少数派になってしまったのが現状です。文芸評論家の斎藤美奈子さんは、この点に関して、戦後日本の各世代は「戦争経験者」、「戦後第一世代」(親の戦争体験を一次情報として聞かされた世代)、「戦後第二世代」(学校教育やメデイアを通して再編された戦争しか知らない世代)に分かれると指摘しています(斎藤美奈子『戦争の語り方』2012年)。今後は、「戦後第一世代」ですら、次第に少数派になっていくでしょう。

 これに加え、石川県にはより特殊な事情があります。というのも、石川県は第二次大戦末期、空襲による被害のもっとも少なかった県の一つでした。このことは、隣県の福井・富山に比べても、戦争の記憶をリアルに伝える環境になかつたことが想像できます。しかも、金沢は、陸軍第九師団が置かれた「軍都」で、ある意味そのステイタスを誇り、戦後も軍隊関係の施設が多く残り活用されたこともあり、むしろ、軍隊に対する抵抗感が薄い印象があります。

 一方、後者については、戦争に関する「事実」をいつ、どこで、どのような立場で語ったか、あるいは聞いたかが、その「解釈」や「イメージ」を大きく左右します。たとえば、1940年代前半の戦争は、当時は「大束亜戦争」「東亜の聖戦」と呼ばれていました。しかし、戦後は「大平洋戦争」、近年では「十五年戦争」「アジア・太平洋戦争」と呼ぶことが多くなっています(もちろん、政治的主張により「聖戦」と呼ぶ人々も一部にいます)。

事実関係についても、例えば南京事件の被害者数など、本来は客観的に確定されるべき数値の認識についても、中国の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされるのを最大に、20万以上(東京軍事裁判)、10〜20万人(笠原十九司説)、4万人上限(秦郁彦説)、1~2万人(借行社『南京戦史』)とその幅は大きく、いわゆる「虐殺」はなかつたとする虐殺否定派も存在します。

 いまほど、「客観的」という表現を使いましたが、そもそも戦争の叙述に客観性を求めることは、きわめて困難です。それは、戦後70余年の社会の動向をみても明らかでしょう。例えば、「戦場の実態」といっても、それぞれの兵士が置かれた環境や立場によって体験が異なり、語る時期によっても内容が複雑に変化します。むしろ、本書の使命は、いかに戦争の記憶に説得力を増すか。そのためには、出来るだけ「確実な史料」にもとづくこと、なるべく多くの研究者の支持を得た「解釈」に依拠することが重要かと思います。

 しかし、一方では、平和に対する思いを共有することも本書の大切な意図です。ただし、事実の歴史的叙述からその意図を達成することは、執筆者にかなりの力量が求められます。おそらく、その役割は、文学作品や映像作品に頼る必要があります。ただ、本書でも多少なりとも読者の感性に訴えるべく、適切な表現や図版の選択に心がけたつもりです。歴史を学び語る際思い出すのは、「静かな流れは、底が深い」という箴言です。熱い思いと冷静な姿勢、この言葉の合意を踏まえれば、本書刊行の目的に一層近づけるのではないかと思う次第です。

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